冷戦期の輸出管理とCOCOM
冷戦期の輸出管理の枠組みだったCOCOMの目的と性格を理解し、東芝機械COCOM違反事件が日米の経済摩擦と経営責任にまで発展し、日本の輸出管理を強化した経緯を説明できるようになります。
この節で学ぶこと
- COCOMが設けられた背景と、その目的、性格を説明できるようになります。
- 東芝機械COCOM違反事件の概要と、この事件が日米の経済摩擦・企業経営・日本の輸出管理に与えた影響を説明できるようになります。
- COCOMが解消された理由を、冷戦の終結と結びつけて説明できるようになります。
覚えること
- COCOM(ココム、対共産圏輸出統制委員会)は、1949年に発足した、西側諸国による共産圏向けの輸出統制の枠組みです。本部はパリに置かれ、1994年3月に解消されました。
- COCOMの性格は、共産圏という特定の相手を定め、戦略物資と高度な技術の流出を防ぐ封じ込め型の輸出管理でした。
- COCOMは条約ではなく、法的拘束力を持たない紳士協定でした。参加国は合意した規制を各国の国内法で実施し、日本は外為法で実施しました。
- 1987年に発覚した東芝機械COCOM違反事件は、日本の輸出管理体制を強化する転機になりました。
1. 冷戦とCOCOMの発足
第二次世界大戦後、世界はアメリカを中心とする西側陣営と、ソ連を中心とする東側陣営に分かれて対立しました。この対立を冷戦と呼びます。直接の戦火を交えない代わりに、両陣営は軍事技術の優位を競いました。
西側諸国にとっての課題は、自陣営の高度な技術や戦略物資が東側に渡り、軍事力の強化に使われることを防ぐことでした。そこで1949年、西側諸国はCOCOM(対共産圏輸出統制委員会)を発足させ、1950年から活動を始めました。参加国は、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国を中心に、日本とオーストラリアを含む西側の主要国です。
COCOMの枠組みでは、参加国が規制する品目のリストを協議して合意し、各国がそのリストを国内の法制度で実施しました。COCOM自体は条約ではなく、法的拘束力を持たない紳士協定です。日本は、外国為替及び外国貿易法(以下、外為法)に基づく輸出許可制で、この合意を実施しました。
2. 東芝機械COCOM違反事件
日本の輸出管理の歴史で避けて通れないのが、1987年に発覚した東芝機械COCOM違反事件です。事実関係は次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 時期 | 1982年から1984年にかけて輸出、1987年に発覚 |
| 品目 | 同時9軸制御が可能な大型工作機械と、その制御用の数値制御装置、ソフトウェア |
| 経路 | 商社と仲介会社を介し、ノルウェー経由でソ連へ輸出 |
| 違反の内容 | COCOMで規制された性能の工作機械を、虚偽の申請により無許可で輸出 |
| 影響 | アメリカ国防総省は、ソ連の潜水艦のスクリュー音の静粛化に寄与したと結論づけた |
この事件は、日本製の工作機械がソ連の潜水艦の探知を難しくしたとして、日米間の政治問題に発展しました。国内では、当時の通商産業省が東芝機械に共産圏向け輸出の1年間停止という行政処分を行い、関係者は外為法違反で刑事責任を問われました。
事件の打撃は、行政処分だけにとどまりませんでした。アメリカでは連邦議会議員がホワイトハウス前で東芝製のラジカセやテレビをハンマーで壊す抗議行動を行うなど、日米間の激しい経済摩擦に発展しました。1988年には、アメリカの包括通商競争力法に東芝グループへの制裁条項が盛り込まれ、東芝機械だけでなく東芝グループ全体の製品がアメリカ政府調達から締め出されました。事件に直接関与していない親会社や関連会社の事業にまで打撃が及んだことになります。日本国内でも、東芝の会長と社長が引責辞任しました。この経過は、輸出管理の不備が現場の事務手続きの問題にとどまらず、取引停止や経営責任にまで発展しかねない経営課題であることを示しています。
事件を受けて、1987年に外為法が改正され、罰則の強化をはじめとする制度の見直しが行われました。企業が自主的に輸出管理の体制を整える動きもこの事件から広がり、1989年には輸出管理の専門機関として安全保障貿易情報センター(CISTEC)が設立されました。現在の日本の輸出管理の実務体制は、この事件を出発点に築かれたといえます。
3. 冷戦の終結とCOCOMの解消
1991年にソ連が崩壊し、東西冷戦は終結しました。COCOMが輸出統制の対象としてきた共産圏という相手そのものが消滅したため、COCOMは役割を終え、1994年3月に解消されました。
ただし、COCOMの解消は「輸出管理が不要になった」ことを意味しません。冷戦の終結後は、地域紛争の増加や大量破壊兵器の拡散という新しい脅威が明らかになり、特定の相手を封じ込める管理から、懸念のある用途と需要者を捉える管理へと、枠組みが引き継がれていきました。通常兵器に関するCOCOMの役割は、1996年に発足したワッセナー・アレンジメント(WA)が引き継いでいます。
4. 注意すべきこと
試験で気をつける点
- COCOMは条約ではなく紳士協定です。「COCOMは法的拘束力を持つ条約である」という記述は誤りです。
- COCOMの解消の理由は、冷戦の終結とソ連の崩壊により対象としてきた共産圏が消滅したことです。「輸出管理の必要がなくなったため」という説明は誤りです。
- 東芝機械COCOM違反事件は1987年に発覚した事件で、COCOMの解消(1994年)より前の出来事です。年代の前後関係を問う正誤問題に注意しましょう。
実務で気をつける点
- 東芝機械の輸出はノルウェーを経由して行われました。書類上の仕向地と実際の行き先が異なる取引の危険は、冷戦期から現在まで変わらない輸出管理の急所です。
5. 理解度の確認
次の記述が正しいか、誤りかを判断してみましょう。
問1 COCOMは、西側諸国が共産圏への戦略物資の輸出を統制するために設けた、法的拘束力を持つ国際条約である。
答え: 誤りです。COCOMは条約ではなく、法的拘束力を持たない紳士協定であり、規制は各国の国内法で実施されました。
問2 COCOMは、冷戦の終結とソ連の崩壊を受けて、1994年3月に解消された。
答え: 正しいです。統制の対象としてきた共産圏が消滅したため、COCOMは役割を終えて解消されました。
問3 東芝機械COCOM違反事件のあと、日本では外為法の罰則が強化され、企業の自主的な輸出管理体制の整備が進んだ。
答え: 正しいです。1987年の外為法改正で罰則が強化され、企業の体制整備が広がるとともに、1989年にはCISTECが設立されました。
問4 東芝機械COCOM違反事件の影響は、東芝機械への行政処分だけにとどまり、親会社である東芝や海外の事業には及ばなかった。
答え: 誤りです。アメリカの包括通商競争力法に基づく制裁で東芝グループ全体の製品がアメリカ政府調達から締め出され、日本国内でも東芝の会長と社長が引責辞任しました。輸出管理の不備は、直接関与していない親会社や関連会社の事業にも打撃を与え得ます。
分からなかった点・気になった点
読み込み中です。
この章の問題を解く
章のまとめへ- COCOMは、1949年に発足した、西側諸国による共産圏向けの輸出統制の枠組みである。解く
- COCOMは、参加国を法的に拘束する条約であった。解く
- COCOMの性格は、共産圏という特定の相手を定めて流出を防ぐ、封じ込め型の輸出管理であった。解く
- COCOMは現在も存続しており、日本も参加している。解く
- 1987年に発覚した東芝機械COCOM違反事件は、日本の輸出管理体制を強化する転機になった。解く