人工知能の歴史と限界の論点
人工知能という言葉が生まれたダートマス会議と、ブームと冬の時代をくり返してきた歴史の大枠をつかみます。深掘り層では、3度のブームが限界にぶつかるたびに次の手法へつながった流れ、トイ・プロブレム、シンギュラリティ、機械翻訳の歴史まで説明できるようになります。
ねらい
このレッスンでは、人工知能がたどってきた約70年の歴史を学びます。
基礎
人工知能という言葉が生まれたきっかけと、期待と停滞をくり返してきた大きな流れをつかみます。
1. 人工知能という言葉が生まれたダートマス会議
人工知能という研究分野の出発点が、ダートマス会議です。1956年にアメリカで開かれたこの研究者の会議で、「人工知能」という言葉が初めて使われました。それまでばらばらに進んでいた「機械に知的な仕事をさせる」研究は、この命名をきっかけに1つの分野として動き出しました。
2. ブームと冬の時代をくり返す発展の形
人工知能の歴史は、大きな期待が高まる時期と、期待がしぼんで停滞する時期のくり返しでできています。期待が高まる時期はブーム、期待がしぼむ時期は冬の時代と呼ばれます。
ブームのたびに、新しい手法が「これで人間の知能に届くのではないか」という期待を集めました。しかし、その手法にできないことがはっきりすると期待はしぼみ、冬の時代が訪れます。ここで大切なのは、冬の時代が単なる後退ではなかったことです。何ができないのかがはっきりしたからこそ、その限界を乗りこえる次の手法が生まれ、次のブームにつながりました。限界が次の発明を呼ぶバトンタッチこそが、人工知能の発展の基本の形です。
ここまでの要点
- 「人工知能」という言葉は、1956年のダートマス会議で生まれました。
- 人工知能は、期待が高まるブームと期待がしぼむ冬の時代を交互にくり返してきました。
- 冬の時代に何ができないのかがはっきりし、その限界を乗りこえる形で次のブームが生まれました。
まずは全体像をつかめれば十分という人は、ここで区切って大丈夫です。「人工知能は、限界にぶつかるたびに次の手法へバトンを渡しながら発展してきた」と押さえられていれば、この先の深掘りに進む土台はできています。
発展
ここからは、3度のブームがそれぞれ何に注目し、どんな限界から次へバトンを渡したのかを具体的に見ていきます。
3. 3度のブームと限界のバトンタッチ
人工知能のブームは、大きく3度あったと整理されます。まず、それぞれの注目点を見取り図として並べます。
| 時期 | 注目された手法 | 中心の発想 |
|---|---|---|
| 第1次ブーム | 探索と推論 | 決められた手順で答えを探す |
| 第2次ブーム | 知識の活用 | 専門家の知識をコンピュータに入れる |
| 第3次ブーム | 機械学習とディープラーニング | データからルールを学ぶ |
第1次ブームで注目されたのは、探索と推論です。迷路の道順やパズルの手順のように、とりうる選択肢を決められた手順で片っ端から調べていけば、コンピュータは人間よりはるかに速く答えにたどり着けます。ただし、この方式が通用したのは、ルールと目標がはっきり決められた問題までです。おもちゃのように単純化された問題は解けても、現実の複雑な問題には歯が立ちませんでした。この限界はトイ・プロブレムと呼ばれます。
現実の問題を解くために足りなかったのは、世の中についての知識です。病気の診断には医学の知識が、日常の会話には言葉と常識の知識が要ります。そこで第2次ブームでは、専門家の知識をコンピュータに書き入れて活用する方向へ、研究の重心が移りました。
ところが、知識を書き入れる方式にも壁がありました。専門家の知識を人手で書き出す作業は膨大で、書いても書いても終わりません。この壁は知識獲得のボトルネックと呼ばれます。人が知識やルールを書き尽くせないのなら、データそのものにルールを語らせよう。この発想の転換から生まれたのが機械学習であり、それを大きく発展させたディープラーニングが、現在まで続く第3次ブームを支えています。
それぞれの手法のしくみそのものは、探索木のたどり方、知識のあらわし方、データからの学び方として、このあと1つずつくわしく掘り下げます。
理解の確認
3度のブームは、ばらばらの流行ではなく、前のブームの限界への答えとしてつながっています。探索と推論は知識の不足という限界に、知識の活用は人手で書き尽くせないという限界にぶつかり、その答えとしてデータから学ぶ機械学習が主役になりました。
4. シンギュラリティという転換点をめぐる議論
第3次ブームの勢いを受けて、「このまま人工知能が賢くなり続けると、どこまで行くのか」という未来の議論も盛んになりました。その中心にある言葉がシンギュラリティです。シンギュラリティとは、人工知能が人間の知能を超え、その先の社会の変化が予測できなくなるとされる転換点のことです。日本語では技術的特異点とも呼ばれます。
シンギュラリティが本当に来るのか、来るとしていつなのかについては、研究者の間でも意見が分かれています。ここまで見てきたブームの歴史が確定した過去の事実であるのに対し、シンギュラリティは未来についての議論です。この2つは区別して押さえておきましょう。
5. 機械翻訳の歴史に映る手法の交代
ブームの間で起きたバトンタッチと同じ交代劇は、機械翻訳という1つの応用分野の歴史の中にも見られます。機械翻訳とは、ある言語の文を別の言語にコンピュータで翻訳することです。
初期の機械翻訳は、ルールベース機械翻訳でした。文法の規則と辞書を人が作りこみ、その規則に従って翻訳する方式です。しかし、言語には例外や言い回しが尽きることなくあり、規則を人手で書き尽くすことはできませんでした。専門家の知識を書き尽くせなかった第2次ブームと同じ壁です。
その壁への答えとして現れたのが、統計的機械翻訳です。統計的機械翻訳とは、人間が翻訳した原文と訳文の組を大量に集めた対訳データ(対訳コーパス)から、どの語句がどの語句に訳されやすいかという翻訳の確率モデルを学ぶ方式です。規則を人が書くのをやめ、データに翻訳のルールを語らせるという転換は、第2次ブームから第3次ブームへのバトンタッチと同じ形をしています。言葉を確率で扱うこの発想は機械翻訳にとどまらず自然言語処理の全体を支える土台になったため、コーパスから言葉の規則性を学ぶしくみとして、あらためて掘り下げます。
理解の確認
ルールベース機械翻訳は、文法規則と辞書を人が作りこむ方式です。統計的機械翻訳は、大量の対訳コーパスから翻訳の確率モデルを学ぶ方式です。翻訳のルールの由来が「人が書く」から「データから学ぶ」へ交代した点に、ブームの移り変わりと同じ構図があります。
6. ダートマス会議に集った研究者と命名の意図
基礎層で、「人工知能」という言葉がダートマス会議で生まれたことを見ました。ここでは、命名の背景をもう一歩たどります。
ダートマス会議の開催を提案したのは、若い数学者ジョン・マッカーシーを中心とする研究者たちでした。提案には、マービン・ミンスキーやクロード・シャノンらが名を連ねています。「人工知能」という言葉を選んだのは、マッカーシーです。当時はコンピュータが登場して間もない時期で、機械に知的な仕事をさせる研究は、あちこちでばらばらに行われていました。マッカーシーはそれらに1つの名前を与え、独立した研究分野として世に示そうとしました。この名前には、ただ自動で動く機械を作るのではなく、人間の知能そのものに挑むという意気込みが込められていました。
提案者の一人であるクロード・シャノンは、情報理論を築いた人物です。あらゆる情報を0と1のデジタル信号として扱えることを示し、今のコンピュータの土台を作りました。シャノンはコンピュータにチェスを指させる初期の研究も行っており、「思考も計算として扱えるのではないか」という発想には、こうした土台がありました。
ダートマス会議に集った研究者たちは、人間の思考は記号とルールの組み合わせで説明できる、という前提に立っていました。ルールをきちんとプログラムすれば知能は作れるはずだ、という見通しです。この前提こそが、探索と推論に懸けた第1次ブームの出発点であり、同時に、トイ・プロブレムという最初の限界の伏線でもありました。
理解の確認
ダートマス会議はマッカーシーを中心に提案され、ミンスキーやシャノンらが名を連ねました。思考は記号とルールで説明できるという当時の前提が、第1次ブームの方向を決めています。
理解度の確認
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